食の記憶

めっきり年老いて、量が減りましたが
やっぱり「食」は興味がつきない。
でも興味が無い人っているんですよね〜。
そういう方を見るたびに、アタシは、絶対付き合えないと思ってしまう。
「食」って育った環境、親が怠ればそのように育ってしまう恐ろしい部分。
昔、離乳食の本に、初めてのおかゆに添えるおかずのピュレが
イチゴやバナナだったのにはのけぞったよ。
無理でしょ?せいぜいかぼちゃだったり、小松菜だったりじゃない??
今、おかしな組み合わせがはびこってるのは、こういうのが原点
だったりするんじゃないかと思う。

今思えば、ありがたいことに母は料理が好きだったし
親戚達は、祖父の壮大な商店街立ち上げ計画に付き合っていたので
魚屋も肉屋も親戚。
魚屋で鮭の切り身を買って、肉屋で揚げてもらうなんて
ウルトラC級のずうずうしいことはざら。
すっぽんなべも自宅で食べたし、鮫をさばいて鮫肌を取るって
技なんて今の若い者はしらないだろう。
たくあん漬け、白菜漬け、当然ながら手作りの恐ろしさは身をもって体験済み。
だから、アタシが漬けてる糠漬けだって、幼児体験の
嫁に行ったらやらないきゃいけないことという刷り込み体験からかもしれない。

そして環境も恐ろしかった。
隣接してる貸してる店舗もほぼ食べ物屋ばかりで
惣菜屋、手作り居酒屋、韓国料理屋と本格的なものばかり
生まれて初めて食べた韓国海苔は叔父の自家製。目の前で作るのよ。
今のような手軽なものはないし、あの時ほどのものに出会えないから
韓国海苔を食べる時は、チーズをはさんでつまみとしてしか食べない。
コチュジャンだって家で作ってた。
(韓国人の料理人がすべて伝授するんだよ)
そして口やかましい叔母が、お茶の師範ときちゃぁ〜
逆にスナック菓子にあこがれる子供時代だった。
この幼児体験、大丈夫かっ?て感じで食に関しては自分なりに
掘り下げたりしてみたくなる。
最近購入して読んでる2冊。

いや〜古いけど面白い。百聞先生なんてホントにばかにしてて笑える。
壇一雄にしろ食の人はどうしてこんなにおかしんだろう。
結構、私生活めちゃくちゃだったりするから、食に溺れちゃいかんなと。
(直子、お互い気をつけよう)

食に関して不思議な味覚の旦那。たまに全く理解できない時がある。
でも大分アタシに影響され、今じゃ辛いものもエスニック系も食べれるように。
その旦那がこの間から変。
ウチでは購入したこともないキューピーのたらこスパの素を大量に買ってみたり。
ルマンド買ってきて」とか「マルちゃん正麺、全種類買ってきて」とか。
よくよく尋ねれば、外国に住む友人に送るためらしい。
そして今日、やっとパッキング完了。

明日、発送。
日本から遠く離れたマイアミで留学していた時代、
彼らは、日本が恋しくて貪りながら食べたものだったらしい。
決して豊かではないインスタントものだけど、彼らにとっちゃ
唯一日本と繋がってると感じた食べものなんだろう。

これだけ情報の早いこの世の中で果たして送ったものが
喜ばれるかはアタシも不明。
でもそこには、味うんぬんより一緒に食べた風景が頭にあって
友人に送りたいヤツの気持ちがあるのだろう。
遠い友人の食卓で、ああだったこうだっとにぎやかに召し上がってもらえたら
ホントにうれしい。
つまりは、味だけじゃなくて一緒に食べてるってそこまでが
食の記憶なんだろうね。
今思えば、アタシも味じゃなくて「手をかけて作ってる」のが楽しかったのかもね。

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